maru-and-kako's blog

健やかに穏やかにでも力強く楽しく生きる毎日の記録

高島屋がカスハラ対策を公表

そんな見出しの記事をみた。

やりおるな、高島屋

私は30年ほどサービス業に従事している。

都内の大抵の百貨店にはお世話になった。

いつの頃からだろうか?

世間で格差社会が囁かれるようになってからだろうか?

高齢者の割合がニュースで取り上げられる様になったくらいからか?

過剰なサービスを「求める」ではなく「要求」する老人が本当に多くなった。

口汚い言葉の使い方や、目に余る横柄な態度、周囲のメーカーの方とも話すが年々酷くなる。

高島屋さんや百合子都知事が今年から「カスハラ」について言及下さる様になりましたが、浸透すると良いなと切に願います。

日本人にね強く残る「お客様は神様だ」と言う思想がある限りなかなか難しいとは思いますが、ちりつもでゆっくりでも良い。後世の若者が苦しまずに働ける様になると良いなと思います。

そんな世間は三連休の最中、かく言う私も日に14人程毎日お相手させていただきますが、昨日も70近いお金持ちカードをお持ちのご婦人に、出勤早々から販売員が1人しかいなかったためお待ち頂いた事からのご叱責で、(朝は人がいなくて)(因みにサービス業も人手不足が著しいのは、そんな劣悪な環境から来るのでは?と思いますが)巨大なスコップでやる気を抉られた訳で、お口の悪さと言ったらオヤジ並みで(オヤジ世代の方々ごめんなさい)。お客様とサービス従事者はイコールではもちろんありませんが、ご自身が損をする事を弁えた振る舞いをされることを切に願います。

周囲の方はみておいでですから。

人柄は弱者に対する振る舞いや言葉遣いでわかる物ですし、人柄はお顔に現れるって本当に当たっているなあと思います。

 

それでも、明日も笑顔でお迎えを致します。

 

時代は変わった

久し振りにブログを更新する。

10年前の日記で夢の中でトランスジェンダーのバイト仲間とのエピソードがあった。10年前は今ほど世間に彼らの市民権は無く、彼らの強くてポジティブでそれでいて儚い心に、泣けて来たと言う私の夢の話だ。

今私はポールダンスをやっている。

世間がこの10年で急速に変わりゆく様に私の10年だって目まぐるしく変わったのだ。

最愛だったGGが病で星になってしまい。

母が亡くなった。

共に暮らし始めた猫の1匹が病で虹の橋を渡り、

私はおいおい在宅ワークが出来る様に中国語の検定を受けまくっている。要は転職を考えている。それは30年近く同じ会社で販売の仕事をしている私には革命的な考えだった。

でも焦らない。

ゆっくりと頑張る。おばさんだし。

 

GGが亡くなった時に傍にいてくれたジョナサン(Instagram @hotdudelife)

と結婚したが、ぶっちゃけvisaの為に2人の壮大な騙しにあったのだと、現在分かった訳である。

それはまた別の話として述べることとしますが、ずっと別居の挙句visaが降りた途端に別の奈良生駒郡の実家に住む元カノとアメリカの実家に帰り(インスタグラム @aya_papaya2)

現在都内にはいると思うが、ぶっちゃけ所在すらわからない。

しかしながら、GGを失った後の喪失感を傍で埋めてくれたことへの感謝も少なからずあるが、クズは一生治らないと思っている。60過ぎの女性の弁護士の先生もそう言った輩はと形容して居たくらいだから、世間一般にそう言う輩だったのだろう。

自分の男を見る目のなさに情けなさは覚える訳で。

話はそれましたが、コロナ禍、

私は外に向かうためにポールダンスを始めた。

そこは年齢も、性別も、職業も、収入も、何もかもフラットで横並びで丸っと受け止めてくれる世界であり、近年稀に見るこの人見知りだった私が居心地の良さを感じられた場所なのである。

そこには夢で見た心は女の子である事を引け目に感じながら生きなくてはならない10年前の彼女の様な子も沢山いて、ただただ一個人として尊敬して尊重できる。私なんてメイクのうまさを羨ましく思ってしまう。

そんなフラットな世界に身を寄せられて、本当に有り難いと私は思うんです。

夢の中の彼女はきっと、今を生き生きと生きている事と10年経った今、痛切に確信して居ます。

混沌

f:id:maru-and-kako:20200405213823j:plain

MY SWEETBOY

世の中は混沌としていて、未だかつて経験の無い状況にNATTEIRUけれども、自分はそこに地に足をつけていたいとそう思う。

それはそれで、不安がないわけではないけれども、先のことで一喜一憂していると疲れてしますから。その日その瞬間幸せであればそれでいい。

たとえば、写真のようなこういう瞬間。例えば、謎の野菜が思いの外美味しかった時とか。15年続けていても中々年々体力的に難かしくなるYOGAのポーズのホールドが最長に達した時とか。

こんな時だから、新たに地味に小さなことを、例えば今みたいに久しぶりに日記を書いてみるとか。

今やっていることは、今の自分自身が求めている事だという事。それによって、心が救われている事。

 

 

秋が来ている

f:id:maru-and-kako:20160909152833j:image

 

1年前の私は今の私を少しでも想像出来ただろうか?

きっと出来なかっただろう。

或る日突然自分が一生懸命守っていたものが消えてしまうなんてことを。

それでも自分がそれなりに生きていることを。

犬しか飼ったことがない自分が、猫の親子に癒され救われる毎日を送っていることを。

そして彼女らが、同じ家にいたのに疎遠だった私たち兄弟をも繋ぎ救っていることを。

自分の興味の対象が180ど変わってしまったことを。

家にいなかったことを後悔し張り付くように家にいること。

家事全般に楽しみを得ていること。

英語以外に中国語も始めたこと。

そしてまさか自分が夏休みに中国へ出かけたということ。

 

そして、10ヶ月前から抱き続ける喪失感をその旅行から次の目的を持つことができたこと。

 

確かに母は物体としての母は亡くなってしまった。

けれど、存在を感じない日はなく、受けた愛情や彼女の思いのようなものは日々感じる。

人は大切なものを失った時後悔しない人なんていないと思う。どんなに些細でも。

後悔だけれども、それによって前にむかされる。

生きて、親孝行をする。

母が守りたかったものを守り抜いて。

親孝行をする。

私が笑って生きていることが、彼女への最大の親孝行だと思うから。

 

与えられたところで、身の丈に合った幸せを感じて、生きていこうと決めたんだ。

 

私の前にやってきた、2匹のメスの猫は、傍にいるというだけで、私を心から救ってくれている。

 

亡くなった母を見つけたあの晩の恐怖は、穏やかな静かな生活に変わっている。

 

晴れた日、たまった洗濯を洗濯し干し、家中の床を水拭きし、布団やラグやクッションを天日に干し、ひと息つきながらコーヒーを飲む。

その気持ちよさ、心地よさ。穏やかさが、身体中にしみる。

それでも時折後悔の念が浮上する。

書き出したら止まらない位の後悔が。

 

それを消すためにまた、何かに集中する。

ジャガイモの皮をむいたり。

玉ねぎを刻んだり。

ぬか床をかき混ぜたり。

 

私は生きてやる。

父の分も、母の分も。生きてやる。

 

 

断捨離中

数ヶ月前から友人に勧められて、携帯のフリマアプリで不用品を売り始めた。
捨ててしまうよりは使ってくださる人に使っていただいた方が良いということで初めて見た。
そこで気がついたことは自分がこんなに無駄に物に囲まれていたことと、それらがなくなったところで、困らない事。
女の人は香水が好きな事と、世の中の主婦は上手にお小遣いを稼いでいる事。
正直配送は面倒だが、物が減って行くと、思いのほか生活がしやすいという事に気がついた。
必要な物、必要じゃないもの。
いつか着るだろうは、こないという事。
年相応という言葉は確実にあるという事。
また、物を買わなくなる。
ほんとうに心地よく、必要な物以外に興味がなくなってきた。
それはとても新鮮で心地が良い心境だ。

そのお金で旅行でも行こうか?とかちょっと検討中。

傷はまだいえない

4年ほど前、私は仕事でひどく傷ついて異動することになった。

女同士というものはいろいろあるものだけど。

私は競争心と言うものの恐ろしさをまだ知らなかったのかもしれない。

今思うと、そこで異動したからこそ成長できたのかもしれないので、感謝するべきなのかもしれないが。

とある送別会の席でその相手と対峙しなくてはならないことになった。

心も体もフリーズした。

作り笑いしか出来ず、言葉を発することすら出来なかった。

 

私はまだ癒えていないんだと痛感した。

 

それでも、私はその時のことを間違いはしては居ないと思っている。

ただ、今なら、私は間違いは犯していない穿った見方で人を判断するんじゃないと言える自信がある。

 

それでも、人の心に出来た深い深い傷は今でもなお居座るものだと痛感した。

 

私は人を先入観で判断しないように働こう。そう思う。年を重ねたからこそ、そうするべきなんだと思う。

ふと思い出したこと

お人形を抱きしめている赤ちゃんとすれ違ったときに、ふと思い出したことがある。

私が子供の頃いつも持ち歩いていたお人形で思い出深いものは、3つ。

一つ目は特大サイズのキューピーちゃん。

それは、私の手により可哀想だからと、体中に毛という毛を黒いマジックで描き尽くされた上、母が恥ずかしいので遠くまでいって捨てられた。

もう一つは、父が上野動物園で買ってくれたパンダの人形。

名前はたつや。

どうしてたつやなのかは,覚えていませんが。今思うと、ませた幼稚園児だと思う。

それはその一年後に我が家にやってきた、ダックスフンドのドンの歯により、無惨にも壊される。

最後になぜか日常をともに過ごすことになった人形はETのぬいぐるみで、名前はじしゆき君。これまた何故そんな名前なのかは覚えていないが、どこに行くにも持ち歩いていたのはとても覚えているが、その当時からやはりちょっと変わって居たんだろうな。。。。と思う。そして彼もまたダックスフンドのドンに無惨にも壊されたのでした。

女の子には女の子らしいお人形を与えるべきだと、大人になった今はちょっと思うのでした。