慈悲喜捨

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慈悲喜捨という言葉の意味

他者を慈しみ
他者の悲しみを共に悲しみ
他者の喜びを共に喜び
執着を捨てる

そんな仏教の教え

二年前の昨日の出来事後

私の世界が精神的に肉体的に環境的にも全くと言っていい程変わった。

震災
東北
子供
妊娠
地震

そんなキーワードで、胸をえぐられる様な
動悸がしたり
手のひらに汗は出
立ちすくんで動けなくなる

正直その年の八月の記憶は
父が死んだ時から一ヶ月間と同じように
覚えていない

ただ、陰ヨガと言う瞑想が私の心を救ってくれた記憶だけが鮮明に残っている。

二年が過ぎ
あの日のその時の君の世界を君の口から聞き
それしか選択肢が無い渦中に居た事実の中に

私が感じたものは

憤りでも無く
悲しみでもなく
嫉妬でもないもの

仕方のない
脱力感と言うか
虚無感

君は病気になり
私は自分自身の生きる糧
情熱を失った

この二年

私と言う人間に存在する意味を
私と言う人間の存在する価値を
私という人間が生きるための道を

君と私が毎日欠かさず言葉で温もりで
心で築き上げる物の意味や価値を
君のために何ができるのか


考えて考えて考え尽くしたけれども
いい答えは見つけられなかった

事実は
目の前に君が座っていること

変わらずその空間が自分にとって心地が良いということ。

二年と言う長い間、十分と言っていい位苦しんだから
もう、「捨」の構えでもいい。

受け流し
こうしなくちゃいけないとか、
こうならなくちゃいけないとか、
こういう存在でいなくちゃいけないとか、
そう言うのから逃れてもいいかなと、

そう思います。

親不孝だと言われても、

今生きている事が親孝行なんだと、
誰も今は幸せにしてあげられて居ないけれど
そう言う可能性は持っているかも、と言う自負だけで

それでいいかと思います。